2009.06.01 Monday
【大阪あそ歩レポート/日本橋、鶴橋、福島、大正】
大阪あそ歩09春のレポート、後半です。
○日本橋
国立文楽劇場〜黒門市場を巡るコースです。
ミナミの繁華街に指しかかろうという場所でのまち歩きは
なかなかスリリング。
日本橋駅周辺の猥雑さと自転車・クルマの通行量の多さ。
そういった要素と大阪を代表する伝統芸能である文楽との
ミスマッチが魅力かもしれないです。
○日本橋
国立文楽劇場〜黒門市場を巡るコースです。
ミナミの繁華街に指しかかろうという場所でのまち歩きは
なかなかスリリング。
日本橋駅周辺の猥雑さと自転車・クルマの通行量の多さ。
そういった要素と大阪を代表する伝統芸能である文楽との
ミスマッチが魅力かもしれないです。
谷崎潤一郎・近松門左衛門の文学碑の存在は、
何度もその前を通りながら今まで気づきませんでした。
多分、多くの地元の方がそうではないでしょうか。
現代の大阪における文化関連の位置づけが伺え、寂しい気持ちになりました。
二ツ井戸ももはや痕跡もなし。
南地随一の料亭、たに川の玄関を拝見させていただきましたが、島之内も今やニューカマーの町。

ガイドはアトリエ輪音の田中冬一郎さん。
拠点であるアトリエ輪音も訪問。元は鉄板焼きのお店だったのですね。

仕上げは黒門の居酒屋(昼は定食&カフェ)で一服して終わりです。
日本橋駅周辺の飲食店
○鶴橋
鶴橋のまち歩きといえば、コリアタウンの印象が強いですが、それは別コース。
こちらは千日前通りの北側、東成区を今里方面に向いました。
ご案内は小川治海さん。
このコースのメインスポットともいうべき
”松下幸之助起業の地”の特定に努め、碑の建立に尽力のあった方です。
碑の建立は当時大きなニュースでした。


時期はずれていますが、「地と骨」の作家、梁石日の生家が
ご近所だったのは、経営の神様と在日作家、意外な組み合わせでした。
更には、かの”熊沢天皇”(ご存知の方はもはや少数派でしょうが)が住んでいたのもこの付近。
東成らしさというのでしょうか、何でも飲み込む混沌とした風土が強烈に迫ってきました。
前にも触れましたが、私は生野区の東部で幼年期を過ごしましたし、生まれた場所が東成の病院でした。
昔馴染みの地名も登場し、生野へ続く道として古き感覚が蘇りました。
映画「地と骨」のロケに使われた食堂やら路地も健在で、
小川さんには秘密のスポットも案内していただきました。
もうひとつ、押さえておきたいのがセルロイド会館。

この建物の存在は知らなかった。
近代建築としてユニークすぎる設計です。
北船場に限らず、大阪はこのような貴重な建築物がまちの中で
ひょっこり顔を出すのです。
鶴橋駅周辺の飲食店
○福島
”おしてるや”とは、古来”難波”にかかる枕詞。
難波=大阪は西の海に沈む夕陽を拝むことが出来る都市。
日想観に代表されるように、かつては夕陽信仰=極楽往生思想が盛んだった土地だったのです。
というわけで、大阪で夕陽を眺めようというまち遊び企画です。
場所は新梅田シティのスカイビル。
2時間、周辺の福島のまちを歩いてからの展望でした。
福島のまちを案内してくれたのは田野登さん。

福島といえば、「売れても占い商店街」として一躍脚光を浴びた商店街からスタートし、占いの由来となった浦江の聖天さんこと、如意山了徳院を訪れました。

江戸時代はこの地域の名物であった野田藤の藤棚、杜若の池がありましたが、残念ながら時期的に開花の時期はずれていました。
境内で松尾芭蕉の法要を行いました。
芭蕉はこの寺も訪ね、句を残しているのです。

18時。いよいよ夕陽を眺めに、スカイビルに登ります。
40階の展望フロアで、改めて田野さんより大阪と夕陽にまつわる文芸についての解説がありました。
六甲方面上空に太陽が出ていましたが、まもなく雲に隠れました。
今日の日没である19時までに夕陽を拝むことが出来るのでしょうか。
やや不安。
コーヒーを飲んで一服していると二胡の演奏が始まりました。

「家路」や「七つの子」など、主に日暮れに因んだ歌が奏でられていきます。太陽はすっかり雲の中、空の色も薄暗くなってきました。
果たして、再び夕陽は姿を見せるのか?
演奏終了後の趣向として、マントラが流れ出しました。
するとどうでしょう
マントラの読経に合わせた様に、雲の中から真っ赤な夕陽が姿を現したではありませんか!
これには一同唖然。
まさに”おしてるや”にふさわしい感動的な場面でした。
そして、マントラが終わると、夕陽は再び雲の中へ入り、二度と姿を現すことはありませんでした。
誰もが「奇跡の夕陽」と口にしました。
こんな展開になるとは誰も予想していなかったことでしょう。

福島駅周辺の飲食店
○大正
大阪あそぼ春で最後にエントリーしたのは大正区でした。
案内人は関西沖縄文庫の金城馨さん。
住民の1/4が沖縄出身者かその子孫で固められ、
今や大阪において沖縄を体験できるスポットとしてイメージが築かれつつある大正区。
デイゴ、さとうきび、ゴーヤ通り、沖縄料理といった、
観光的華やかさと背中合わせに、過去の沖縄にまつわる
苦難の歴史を体験するツアーともなりました。

”蘇鉄地獄”と呼ばれる言葉に代表される、先人が味わった労苦と差別を経て
現在の沖縄ブームがあるのだとすれば、
ブームを受け入れる側の葛藤もあってしかるべきかと思いました。

現に、沖縄が体感できる商店街として売出中の平尾商店街でも
全員の意見の一致を見るには至っていません。

故郷を追われ、ヤマトンチューの中で生きる術しかなかった
ウチナンチューの物語を聞くことで、ツアーに社会的奥深さが付け加えられました
大正区のもう一つの特徴として、周囲を海と河川で囲まれた、
区全体が文字通り”水の島”であるとことがあげられます。
それを実感してもらうため渡船に乗り込みました。

大阪市内には現在も尚、9箇所の渡し舟(渡船)は運行されており、
その内、8箇所が大正区にあります。
橋の代わりですので、乗船は無料。
自転車もOKです。というより、我々ツアー客以外のほとんどの方が自転車利用でした。
木津川を渡る渡船に乗り、西成区津守との間を往復しました。
以前にも書きましたが、”水の都”を最も実感できるスポット、
それが大正区なのです。

大正駅周辺の飲食店
*
というわけで、5月末を持ちまして、大阪あそぼ09春は終了したわけです(6月に番外編の2コースあり)が、私はそのうち10のまち歩き(研修含む)と3つのまち遊びに参加しました。
また自身の担当である住吉・帝塚山を各2回ずつ実施しました。
我ながらよくやるぅといった感想で、流石に足がくたびれましたよ。
でも、どのコースも楽しかったし、魅力一杯でした。
改めて大阪っておもろいまちだなと思いました。
形として残っているものは少なくても、そこにまつわる物語の豊富さは
全国でも群を抜くのではないでしょうか?
今回いくつかのコースが参加できなかったことが悔やまれます。
ともあれ、大阪を再認識するいい機会でした。
1000人を超える参加者が集まったことは、
多くの人がこのような企画を待ち望んでいた証拠で、
それはとりもなおさず、何かにつけてマイナスイメージばかりクローズアップされる大阪を見直そうという意識の現われではないでしょうか?
大阪あそ歩、次は秋に更なるパワーアップした姿で再開されます。
お楽しみに!
何度もその前を通りながら今まで気づきませんでした。
多分、多くの地元の方がそうではないでしょうか。
現代の大阪における文化関連の位置づけが伺え、寂しい気持ちになりました。
二ツ井戸ももはや痕跡もなし。
南地随一の料亭、たに川の玄関を拝見させていただきましたが、島之内も今やニューカマーの町。

ガイドはアトリエ輪音の田中冬一郎さん。
拠点であるアトリエ輪音も訪問。元は鉄板焼きのお店だったのですね。

仕上げは黒門の居酒屋(昼は定食&カフェ)で一服して終わりです。
○鶴橋
鶴橋のまち歩きといえば、コリアタウンの印象が強いですが、それは別コース。
こちらは千日前通りの北側、東成区を今里方面に向いました。
ご案内は小川治海さん。
このコースのメインスポットともいうべき
”松下幸之助起業の地”の特定に努め、碑の建立に尽力のあった方です。
碑の建立は当時大きなニュースでした。


時期はずれていますが、「地と骨」の作家、梁石日の生家が
ご近所だったのは、経営の神様と在日作家、意外な組み合わせでした。
更には、かの”熊沢天皇”(ご存知の方はもはや少数派でしょうが)が住んでいたのもこの付近。
東成らしさというのでしょうか、何でも飲み込む混沌とした風土が強烈に迫ってきました。
前にも触れましたが、私は生野区の東部で幼年期を過ごしましたし、生まれた場所が東成の病院でした。
昔馴染みの地名も登場し、生野へ続く道として古き感覚が蘇りました。
映画「地と骨」のロケに使われた食堂やら路地も健在で、
小川さんには秘密のスポットも案内していただきました。
もうひとつ、押さえておきたいのがセルロイド会館。

この建物の存在は知らなかった。
近代建築としてユニークすぎる設計です。
北船場に限らず、大阪はこのような貴重な建築物がまちの中で
ひょっこり顔を出すのです。
○福島
”おしてるや”とは、古来”難波”にかかる枕詞。
難波=大阪は西の海に沈む夕陽を拝むことが出来る都市。
日想観に代表されるように、かつては夕陽信仰=極楽往生思想が盛んだった土地だったのです。
というわけで、大阪で夕陽を眺めようというまち遊び企画です。
場所は新梅田シティのスカイビル。
2時間、周辺の福島のまちを歩いてからの展望でした。
福島のまちを案内してくれたのは田野登さん。

福島といえば、「売れても占い商店街」として一躍脚光を浴びた商店街からスタートし、占いの由来となった浦江の聖天さんこと、如意山了徳院を訪れました。

江戸時代はこの地域の名物であった野田藤の藤棚、杜若の池がありましたが、残念ながら時期的に開花の時期はずれていました。
境内で松尾芭蕉の法要を行いました。
芭蕉はこの寺も訪ね、句を残しているのです。

18時。いよいよ夕陽を眺めに、スカイビルに登ります。
40階の展望フロアで、改めて田野さんより大阪と夕陽にまつわる文芸についての解説がありました。
六甲方面上空に太陽が出ていましたが、まもなく雲に隠れました。
今日の日没である19時までに夕陽を拝むことが出来るのでしょうか。
やや不安。
コーヒーを飲んで一服していると二胡の演奏が始まりました。

「家路」や「七つの子」など、主に日暮れに因んだ歌が奏でられていきます。太陽はすっかり雲の中、空の色も薄暗くなってきました。
果たして、再び夕陽は姿を見せるのか?
演奏終了後の趣向として、マントラが流れ出しました。
するとどうでしょう
マントラの読経に合わせた様に、雲の中から真っ赤な夕陽が姿を現したではありませんか!
これには一同唖然。
まさに”おしてるや”にふさわしい感動的な場面でした。
そして、マントラが終わると、夕陽は再び雲の中へ入り、二度と姿を現すことはありませんでした。
誰もが「奇跡の夕陽」と口にしました。
こんな展開になるとは誰も予想していなかったことでしょう。

○大正
大阪あそぼ春で最後にエントリーしたのは大正区でした。
案内人は関西沖縄文庫の金城馨さん。
住民の1/4が沖縄出身者かその子孫で固められ、
今や大阪において沖縄を体験できるスポットとしてイメージが築かれつつある大正区。
デイゴ、さとうきび、ゴーヤ通り、沖縄料理といった、
観光的華やかさと背中合わせに、過去の沖縄にまつわる
苦難の歴史を体験するツアーともなりました。

”蘇鉄地獄”と呼ばれる言葉に代表される、先人が味わった労苦と差別を経て
現在の沖縄ブームがあるのだとすれば、
ブームを受け入れる側の葛藤もあってしかるべきかと思いました。

現に、沖縄が体感できる商店街として売出中の平尾商店街でも
全員の意見の一致を見るには至っていません。

故郷を追われ、ヤマトンチューの中で生きる術しかなかった
ウチナンチューの物語を聞くことで、ツアーに社会的奥深さが付け加えられました
大正区のもう一つの特徴として、周囲を海と河川で囲まれた、
区全体が文字通り”水の島”であるとことがあげられます。
それを実感してもらうため渡船に乗り込みました。

大阪市内には現在も尚、9箇所の渡し舟(渡船)は運行されており、
その内、8箇所が大正区にあります。
橋の代わりですので、乗船は無料。
自転車もOKです。というより、我々ツアー客以外のほとんどの方が自転車利用でした。
木津川を渡る渡船に乗り、西成区津守との間を往復しました。
以前にも書きましたが、”水の都”を最も実感できるスポット、
それが大正区なのです。

*
というわけで、5月末を持ちまして、大阪あそぼ09春は終了したわけです(6月に番外編の2コースあり)が、私はそのうち10のまち歩き(研修含む)と3つのまち遊びに参加しました。
また自身の担当である住吉・帝塚山を各2回ずつ実施しました。
我ながらよくやるぅといった感想で、流石に足がくたびれましたよ。
でも、どのコースも楽しかったし、魅力一杯でした。
改めて大阪っておもろいまちだなと思いました。
形として残っているものは少なくても、そこにまつわる物語の豊富さは
全国でも群を抜くのではないでしょうか?
今回いくつかのコースが参加できなかったことが悔やまれます。
ともあれ、大阪を再認識するいい機会でした。
1000人を超える参加者が集まったことは、
多くの人がこのような企画を待ち望んでいた証拠で、
それはとりもなおさず、何かにつけてマイナスイメージばかりクローズアップされる大阪を見直そうという意識の現われではないでしょうか?
大阪あそ歩、次は秋に更なるパワーアップした姿で再開されます。
お楽しみに!








