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【大阪あそ歩レポート/生野、平尾、今里、深江、大塩平八郎】
大阪あそ歩09秋も、
10月17日の開幕から既に1ヶ月が経過しましたが、
その間私が参加したコースを報告します。

*私がガイドをした能ウォーク3ルートについては
YUI企画サイトの実績報告をご覧下さい。

○生野

一年前に大阪あそ歩プレ企画として、
住吉とともに実施された生野・コリアタウンのまち歩きに
ようやく参加して来ました。

勿論、今回のコースの大半は他のまち歩きや個人的に何度も辿っているのですが、地元に精通した足代健二郎さんのガイドとなると、まるでその密度は濃くなります。
旧平野川の流域や土手のなごりなど、実地で話を聞かなければわかりません。

個人的に印象深かったのは、有名な鶴の橋跡やコリアタウンではなく、
雑然とした下町の一角に農村を思わせるようなどっしりした構えの
豪農の屋敷が現存していたことです。裏手に市民農園もあり、
この一角だけ風景が違いました。
韓流などどこ?というような純和風の風景でした。

飯田家

御幸森神社では、10/31に境内に建立された難波津の歌の碑予定地(この時点ではまだ建っていない)で、足代さんが建立へ向けた思いの程を語ってくれました。
難波津の歌の碑について説明する足代氏

○平尾・南恩加島

大正区のツアーは春に中央部である小林地区を歩いたのですが、
今回は区の南部に当たる平尾と恩加島地区です。
ガイドは郷土史家の松田氏。時折激しい雨が降る中でのツアーでした。

スタートは春のコースのゴールである平尾商店街から。
例によって沖縄物産店での買物から始まります。

商店街を抜けて重工場が立ち並ぶ恩加島地区へ。
ここも現在では工場になって碑だけ残されていますが、
大阪俘虜収容所がありました。

第1次世界大戦時に捕虜となったドイツ兵を収容したそうです。
ドイツ人俘虜収容所といえば、映像化された鳴門が有名ですが、
大阪にもあったのですね。
戦後、この収容所の存在は長い間公的には黙殺されていました。

さて、大正区といえば、最近俄かに渡船がクローズアップされてきました。
今回も千本松渡船に乗船しました。
渡船の頭上に架かるのが千本松大橋。橋の両側がループ状になっているところから、通称メガネ橋と呼ばれています。

平尾・恩加島ツアーのクライマックスは、このメガネ橋を歩いて渡るというものです。橋の高さは36メートル。らせん部分の総延長が452メートル(片側)というもの。
私もこの橋は車では何度か走りましたが、歩行者は一度たりとも見たことがありません。
逆にいえば、こんなツアーでないと歩こうという気になれませんので、貴重な機会だったといえましょう。

千本松大橋

橋の上から見た、工場群は映画「ブレードランナー」にでてくる
荒廃した未来社会の建物を彷彿とさせました。
聞けば「ブラックレイン」の逃走シーンもここで撮られたとか。
”工場萌え”がマニアックなブームになっていますが、
錆付き、深夜に煙を吐き出す鉄の塊の工場は画(え)になるのでしょうね。

千本松大橋の橋上から見た風景

○今里

生野区の東部に生まれた私にとって、今里は馴染みの深い地域でしたが、
まち歩きの楽しみは、なにもかもよく知ってるはずのまちでも新たな発見があるということ。今回もそうでした。
今回のルートは子供時分によく歩いた道だったのですが、やはり土地の謂れを聞くと、まるで違った光景に見えてきます。
更に、昔の記憶を辿りながら、変貌した場所や変わらない所を確認し、感慨に耽るというのもありました。

全国的に郷土に対する想いが高まっているのでしょうか。
以前はただの”道”だった道路に”暗越奈良街道”の名称と案内板が加わり、歴史街道としての風格が出てきました。

暗越奈良街道のレリーフ

逆に新道商店街は昔のにぎわいを知る者にとっては寂しい
シャッター街になっていました。
当日は新道・暗越奈良街道フォーラムというイベントが開催されていて、
商店街にも面白そうなバザーや露店が立ち並んでいたのですが、
その後ろのシャッターが普段の有様を物語っていました。

今回案内してくれたのは東成わがまち会議の松下和史氏。東成区の職員も出張ってくれました。
区を上げてまちを盛り上げようとする姿勢がうかがわれました。

今回目に付いたのは、水戸黄門から拝領された香炉
妙法寺というお寺でその日限りの特別公開でした。

徳川光圀拝領の香炉

○深江
今里コースから連チャンで参加した深江も周知の土地。
現在も毎日のように付近を車で通っているのですが、
幹線から外れて一歩旧村の中に入ると、全く発見だらけでした。

地名の通り、この辺りは古来より低湿地帯です。
ひとたび長雨や洪水が起これば村の大半は水没してしまいます。
まちの特性は、そうした地性に対応したものとして随所に見られます。

象徴的なのは段倉。富裕層は石垣を築いて地面より高く屋敷を構えています。大切なものを収蔵する蔵もそうです。その中で特に貴重な品々はもう一段高く蔵を築いて保管していました。つまり二段構えの蔵です。
その様子が外から見ると写真のようになります。

段倉

さて、深江の特産物といえば菅笠でした。
というのも、暗越奈良街道は玉造起点の
伊勢参りに利用されていた道で、道中の必需品として
旅人は深江の地で菅笠を求めたそうです。
原料となる菅の茎は長いもので1メートル60センチくらいになるそうです。
菅がたくさん生えていたというのも湿地帯ならではの特性でしょう。
かつての面影を残す菅田は消えて久しいのですが、
近年これは復元されました。隣接地にはただいま資料館が建設中です。

深江の菅田

また、深江の湿地に堆積した土砂は鋳物に適した良質のものだったらしく、
鋳物の生産拠点になりました。
現代に引き継がれる鋳物師の家として角谷家があります。
これも新道・暗越奈良街道フォーラムにあわせて、
角谷家生産の鋳物の数々が展示されました。貴重なお宝が拝見できました。

角谷家の鋳物の数々

食に関しては高井田系ラーメンというご当地ものがあり、これも知りませんでした。これは近年クローズアップされたようですね。
濃い醤油味の太麺が特徴です。

○大塩平八郎の足跡を訪ねて

今回は大塩平八郎の乱にテーマを絞った歴史ウォーク
扇町から靱まで、地下鉄による移動も含めて歩きました。

成正寺にある墓所から、大塩が住んでいた屋敷(洗心洞)跡、
乱の際放った大砲が当たったという槐の樹の跡、
そして官吏に追い詰められて自爆して果てたという終焉の地。

造幣局の職員寮の敷地内に、
与力の屋敷門が現存しているというのは驚きでした。

与力の屋敷門

語りは茶谷プロデューサー。
いつもながらの講談調の語り口に、大塩平八郎という人物への関心が高まりました。

大塩平八郎終焉の地

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