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【住吉・帝塚山のアート空間〜その2/長屋ギャラリー・ふう】
前回に引き続き、住吉・帝塚山のギャラリーをご紹介します。

長屋ギャラリー・ふう

南海高野線住吉東駅より徒歩3分の至近距離にあります。

長屋ギャラリー・ふう

戦前の長屋を改造した50屬曚匹離好據璽垢
写真展や美術展、音楽ライブなどが定期的に開催されています。

昨年の住吉博覧会ではまち歩きのコースに含まれ、
ちょうど大阪のまちをテーマにした写真展が開催されていました。

このときの印象が非常によかったので
「大阪あそ歩」でもコースに加えたいと思い
住吉行宮を回るツアーでは、最初に訪れる場所としました。

ギャラリーを運営される竹山建築設計事務所の竹山通明さんご夫妻
快く応じていただきました。

このギャラリーでは大阪にまつわる文化・芸能を中心とする
イベントを手がけてこられたのですが、その背景には
ふるさと大阪の文化の衰退は目に余る。何かせな
という危機感があったそうです。

周囲は駅前とは思われる静かな環境で、
すぐ裏に古墳の上に築かれたといわれる
東大禅寺という黄檗宗のお寺があります。

先日伺った筝・三味線のライブでは、地元在住の師範の手による演奏を聴きました。
こじんまりとしたスペースがアットホームな雰囲気を醸し出していました。
参加者には外国人留学生が多数おられ、日本の伝統文化を堪能していました。
ギャラリーの向かいにある桜の樹が咲き始めていました。桜

大阪あそ歩

知られざる幻の首都・住吉行宮〜もうひとつの王朝・南朝の足跡を探して〜

yamada cafe

池田屋本舗
| おすすめスポット | 14:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
【住吉・帝塚山のアート空間〜その1/「蔵」ギャラリー・CLASSIC】
大阪あそ歩’09春の実施を目前に控え、
今回は住吉・帝塚山のアート空間に触れたいと思います。

どうもアートと聞くと個人的には尻込みしてしまうタチで、
その理由は単純で、良さが分らないということです。

感性の問題といった方がいいのでしょうね。ピピピニョロ

というわけで、これまで遠ざけてきたギャラリー紹介ですが、
いつまでもというわけにはいかず
自分の理解が及ぶ範囲で述べてみたいと思います。

とんちんかんな内容でしたらごめんなさい。

まず今回は「蔵」ギャラリー・CLASSICを。

CLASSIC

ここはWILL帝塚山という集合住宅の一角にあります。

WILL帝塚山自体大阪まちなみ大賞を受賞した建築物で、
この場所にあったお屋敷の中庭や蔵を活用した点が評価されたということです。家

実はこのお屋敷、市川右太衛門さんの旧宅だったそうです。
北大路欣也さんが高校生の頃、この家から通学していたというのも土地の方からお聞きしました。ふぅ〜ん

尚、これは現在跡形もありませんが、
向かいにあったお屋敷には長谷川一夫さんが住まわれていたということです。びっくり

WILL帝塚山には新進気鋭の写真家・稲見伸介氏のスタジオがあります。

「蔵」ギャラリー・CLASSICは旧宅の蔵を改造して
ギャラリーとして使用したものです。

CLASSIC

かつて帝塚山には多くの蔵が立ち並んでいたといいますが
年々その数は減少の一途をたどっています。

もっと多くの人がこの現状に関心を持ってくれれば
蔵が消えていくのを防ぐことができるかもしれないと、
CLASSICのご主人は訴えます。

ギャラリーについても、とにかく来て欲しい、
来てくれるだけでいいから、と仰います。

ギャラリーの存在意義は地域の文化スポットとして
見てもらうことにあるのだから。

この言葉を受けて先日開催中の市松人形展を見ました。

新旧様々な市松人形が飾られ、中でも一番の見ものは
戦前日米親交の証として贈られた答礼人形

実物を見て、こんなに大きなものとは思いませんでした。

しかし、「ミス大阪」とか「ミス長崎」などの名前を付けられた各県代表の
人形たちは、
やがて日米開戦と共に破壊されたり、所在が不明になったりし、現在全ての行跡は分らなくなっています。

歴史に翻弄された数奇な運命を辿った人形たちといえるでしょう。

蔵には貴重な足踏みオルガンが常設されていたり、
建築上珍しい曲線の梁を使っていたりと
楽しむ要素が満載です。

そうそう、ご主人の闊達なお話を聞くのも楽しいですよ。

☆蔵ギャラリーCLASSIC
 大阪市住吉区帝塚山中4-10-14
 TEL:06-6671-6749


 地図はこちら


公式サイトがオープンしました!各コースの申込はこちらから。
大阪あそ歩’09春
| おすすめスポット | 11:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
【レトロモダンのまち〜帝塚山を歩く・帝塚山学院】
4月19日から5月31日まで開催の「大阪あそ歩 ’09春」。
いよいよ公式サイトが3月1日にアップされます。
お楽しみに!


前回のブログでもお知らせしたように
昨年実施した「祈りのまち・住吉」が再度登場。

今回は更に「レトロモダンのまち・帝塚山を往く」「知られざる幻の首都・住吉行宮」が加わります。

今回はそのうち帝塚山についてコースのご案内です。

といっても、帝塚山のお店については既に何度も
当まちネタMYネタで取り上げられていますし、
お屋敷のいくつかもコメントが載っていますので
ここでは、今まであがっていなかったポイントを補足する程度にします。

まずお屋敷まち・帝塚山の象徴といえるのが帝塚山学院学校

帝塚山学院

この学校があったればからこそ帝塚山のまちは開発されていったのですから。

大正5年(1916)財団設立。翌年小学校開校。その後は幼稚園、中学・高校、短大と続きましたが、もっぱら一般的イメージとしては関西屈指のお嬢様学園ではないでしょうか。(現在は短大はありません)

地面が硬く、耕作に適していない土地として長らく荒野のままだった帝塚山一帯が、住宅地として開発されたきっかけは、明治33年(1900)の鉄道の開通電車です。

現在の南海高野線と阪堺上町線。両線に挟まれた三角形のエリアが最初に開発が始まった場所です。
帝塚山の他の地区が蛇行した道が多い中で、このエリアだけは現在でも東西南北にキチンと区割りされています。

風見鶏のある高谷家

三角形の真ん中を貫くメインストリート沿いに
帝塚山学院が設立されて、一気に住宅建設が進みました。

多くの学生が集い、周辺は後に”帝塚山スイーツケーキと称される
名店が並びました。

実は現在の帝塚山にはポワールフォルマ福寿堂秀信といった
有名店を除けば、案外店数は少なく、
帝塚山スイーツを期待して訪れた人は閑散とした印象を受け拍子抜けするかもしれません。

というのも、短大が郊外へ移転してしまい
それ以来まちから若者の姿が消え、かつてのにぎわいが消えてしまったのです。

それを盛り返そうと地元有志が活動を始めたのが
帝塚山音楽祭で、20年以上続いています。カラオケ
大阪のイベントによるまちおこし運動の先駆けとなったこの音楽祭、
今年は5月30日(土)、31(日)に行われます。

帝塚山学院の校舎は落ち着いた色合いで、
大阪都市景観建築特別賞(大阪まちなみ賞)を受賞しています。





| おすすめスポット | 16:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
【2009年もすみよっさんから】
2009年の年明けはすみよっさんから始まりました。

正確には生根さんこと地元の氏神である生根神社
カウントダウンを行い新年を迎えたのですが、
やはり住吉大社を外すわけには参りません。

元旦から4日まで、都合3回初詣に訪れました。
まぁ地元だからできることですが…

これくらい大きな神社になると、
年中行事は数限りないほどありますが、
4日は一年の最初の大きな神事として
踏歌神事があります。

これは五穀豊穣を祈る儀式ということで、
かつては新年を祝う行事として多くの神社で行なわれていましたが、
平安中期に廃れて以降、現在では住吉大社と熱田神宮くらいしか行なっていないそうです。

場所は第一本宮の前で行なわれます。
本宮前は一時的に参拝はストップされます。

まず祝詞を奏上し、2名の神職が神前に福の餅を捧げます。
神職は互いにすれ違うときになにか呼び合います。
なんて言っているのかちょっと聞き取れませんでしたが。

踏歌神事

その後、神楽女による白拍子舞熊野舞が披露されるという順序です。

白拍子舞

熊野舞

踏歌神事は以上ですが、その後福の餅撒きが行われ、
これが参拝客にとって何よりの楽しみです。

餅撒きの始まり

この画像の後、餅撒きが始まるのですが、
当然のように殺到します。多くの手・手・手。
「こっちにも投げろ!」
と怒号が。結構殺気立ってます。

私は運よく、3つもゲットしました。

福餅

これが戦利品です。まだ柔らかく、””の字が入ってました。

これは幸先のいいスタートになりました。
福が訪れるかな?

境内では他に地元の郷土民芸品の「住吉踊り」を買って帰りました。

住吉踊り

大阪日日新聞の記事

6月の御田植神事に踊られる住吉踊りを象った傘の縁起物です。
江戸時代から作られていますが、現在、これを作れるのはお二人だけだということです(先日のウォーキングで見学)。

こうして我が家にまたひとつすみよっさん関連の縁起物が増えました。

はったつ猫もいる

大阪あそ歩

住吉周辺の飲食店

住吉信仰―いのちの根源、海の神
真弓 常忠

住吉大社
住吉大社
| おすすめスポット | 19:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
体験型観光農園の老舗”杉・五兵衛”






12月12日は大阪ボランティア協会さんのお誘いで枚方へ農業体験に行ってきました。杉・五兵衛さんは36年前から観光農園をされていて大阪府では老舗である。(年間来場客数4〜5万人)本館建物は内外面ともたいへん趣きがあり、聞けば京都二条城のほうで「古民家を引き取ってほしい」といわれて、それをこの地に移設したものだそうだ。





園主ののじま五兵衛さんは「日本の農業など一次産業をここまで悪くしたのは、結果的に消費者にも責任の一端がある。安心安全で栄養価が高く、美味しい食材を供給する農家へ正当な対価を支払い育てていく意識を広めるためにも農業塾をやっている」と熱く語る方だっだ。





広い園内にはロバや羊などもおり、家畜の糞などをもとに堆肥をつくり循環型の有機栽培にてありとあらゆる野菜や果実が植えられている。(同じものを大量に栽培するほうが経営効率は高いが・・)





まずは落ち葉拾いから始まった。スタッフの方々が焚き火をしている間に、我々は芋の収穫♪落ち葉の中に雑菌や害虫がいて、できるだけかき集めて燃やしてあげる!焚き火は焼き芋を焼くためのものではなかったのだ。(笑)



写真(下)は小分けした貸し農園で、苗や道具、育て方のレクチュアー付で自産自消(マイファームさんと基本的に同じ仕組み) 園主の五兵衛さんいわく「ニワトリ飼育のオーナー制」も始めたいと!(すべて国産の飼料で丁寧に育て、安心安全の美味しい卵を自由にお持ち帰り)



午前の最後は柿ジャムの作り方を学び、午後からは大根・ニンジン・東京ネギ・水菜・山芋など両手に持ちきれないほどの新鮮な野菜を(自分で収穫し)家族へのお土産とした。自然の中で体を動かし、収穫いっぱいの1日であった。

今後、杉・五兵衛さんが大量の団塊世代の退職とともにソーシャル・イノベーション(1次産業革命)のムーブメントを起こされることを期待します。私も頑張ります!

杉・五兵衛

全国産地直送の野菜
| おすすめスポット | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
異文化のまち・コリアタウン(鶴橋)と猪飼野
15(土)16(日)と、2日続けて橋下知事肝いりの『大阪ミュージアム構想』を上位概念とし、「大阪コミュニティー・ツーリズム推進協議会」の”大阪あそ歩”とネーミングされたまち歩き企画がいよいよ始まった。今回はプロガイドをつけた「ほんまもんの大阪」を楽しめる4コースが先行的な試作事業として開始された。(私はそのうちの2コースに申し込んだ。)

近い将来50コースに増やしていき”市民と触れ合う観光都市大阪”を仕掛けていくという。





この日は朝からJR桃谷駅に集合し、桃谷商店街〜猪飼野の中心部〜御幸通商店街(通称コリアンタウン)〜鶴橋本通商店街へ抜ける2時間半ほどのまち歩きコースがスタートします。

写真右は「イカ焼き発祥の地」とされる《桃谷イカ焼き屋》さん!残念ながら午前中はお休みだった。





大阪市の東部、生野区にあって大阪市民に親しまれる”鶴橋”という地名の由来は・・かつて区内を流れていた旧平野川にかかる『つるの橋』と呼ばれた橋名に由来する。日本書紀によれば「仁徳天皇猪甘(いかい)の津に橋を渡し・・」との記述があり、この橋が”つるの橋”で(鶴がよく飛来した)日本最古の橋だったそうだ。(昭和15年に廃橋)

この「猪甘」と表現された地域が、現在の生野区の西側から東成区の一部にかけて、かつては町名として残っていた「猪飼野」という一帯で、記紀の時代には百済系渡来人たちが集団で住み「百済野」とも言われた。

それから千数百年後のいま、くしくも猪飼野には多くの在日韓国・朝鮮人たちが住む。(生野区の人口の4分の1の15万人)先の大戦中、労働力として強制的につれて来られた韓半島の人々が戦後、そのまま日本に住みついたのは、日本全国でここ鶴橋地区だけなのだそうだ!(北海道夕張や九州三池炭鉱などの朝鮮人労働者は戦後ほとんど母国に引き上げた。)

「百済野」「猪甘津」と呼ばれてきた古来からのおおらかな共生を、現代にどう再現させていくか!街にとって、難しくも貴重な課題である。





写真(左)は異国風の門がある安泉寺(地元の豪商が寄進、猪飼野の総氏寺) 写真(右)は御幸森天神宮(仁徳天皇を祭った)





写真(左)は貴重な旧来の町名 現在の町番地は写真(右)





















異国情緒たっぷりで「ここも大阪なのか?」と錯覚してしまう!JR・近鉄鶴橋駅近辺だけがコリアン市場だとてっきり思ってる大阪市民は多いと思う。(私だけか?)環状線鶴橋駅から桃谷駅寄りに東西に伸びるコリアン商店街こそ異国情緒溢れる多文化共生の地だった。大阪の中にある歴史的文化的な魅力をもっと多くの市民に再認識してほしいと思います。


鶴橋・焼肉店
| おすすめスポット | 20:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
【住吉を歩こう〜町並みとHOPEゾーン事業】
住吉の古い町並みは住吉大社の東側で展開しています。

1925年の第二次市域拡張によって大阪市に編入されるまでは
住吉群住吉村でした。

編入の際、村の共有財産が散逸してしまわないよう
財団法人住吉村常盤会が設立されました。
現在も帝塚山古墳などの財団の資産管理を行なっています。

この住吉村常盤会や、”すみよし村ぎゃらりー”といった
旧村を偲ばせる名称が付けられた施設、団体が見受けられることからも分るように、かつての村の気風を引き継ごうという意志と誇りが住吉のまちの人には感じられます。

それに、住吉の人は話好きです。わが町の話題となると、仕事に忙殺されていてもそっちのけ、
ほっておくと何時間でも喋り続ける気配です。
これも地元を思う心なのでしょうか。

今に残る町屋は、切妻屋根を基本としながら、
虫籠窓うだつ駒寄などを備えたものです。

先に名前を挙げたすみよし村ぎゃらりー(住吉福祉会館)や
住乃江味噌の池田屋本舗などは必見です。

すみよし村ぎゃらりー

ただ、日本中そうであるように
こうした古い町並みもどんどん取り壊されていってます。
実は住吉でも町並みというほど多くは残ってはいないのです。

こうした流れを止めて、町並み保全を目的とした
修景事業が大阪市のHOPEゾーン事業です。

家の改修・新築に際して基準に沿った内容で行なえば
建築費用の一部が補填される仕組みです。

この住吉の他、大阪市内では空堀と平野郷が
HOPEゾーンに指定されています。

明治期に立てられた上田家住宅
HOPEゾーン事業によって修景され、
落ち着いた佇まいを今に残しています。

上田家住宅

住吉のまちはまた、古来交通の要所でもありました。

まちの真中を南北に通る熊野街道
それに交差する住吉街道(磯歯津路)。
それに住吉大社の西側は紀州街道が走っています。

そのため多くの人でにぎわったそうです。
紀州街道沿いの盛り場は住吉新家と呼ばれていましたし
住吉新地という花街までありました。

池田屋本舗の所在地は熊野街道と住吉街道の交差点。
住吉村のメインストリートでした。
現在でも、道幅が狭い割りに人や自動車の通行が激しい場所です。

住吉大社にお参りする際には、
ぜひとも周辺のまちの散策をオススメします。

大阪市HOPEゾーン事業

住吉信仰―いのちの根源、海の神
住吉信仰―いのちの根源、海の神
真弓 常忠
| おすすめスポット | 10:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
【夏は過ぎましたが…河内音頭です〜八尾・常光寺】
夏も暑さの盛りを過ぎ
お盆の頃になると、各地で盆踊りが開催されます。

盆踊りによって夏の終わりを予感する向きもあり
最後は思い切り踊って、夏(とご先祖様?)を送り出しましょと
区切りのようなものです。

大阪、特に東部では盆踊りの定番といえば
間違いなく河内音頭でしょう。

威勢のいい啖呵やかけ声、いきのよさそうに踊る仕草など
河内音頭といえばアップテンポでやんちゃな踊りのイメージが定着しています。

ただ、この河内音頭、起源を調べてみると
不明な点が意外に多く、
我々が聞き慣れているものは鉄砲節で昭和30年代に大流行したもので
歴史は浅いのです。

発祥の地と呼ばれる場所も平野郷などいくつかあります。

でも何といっても代表的なのは八尾の常光寺でしょう。

常光寺山門

河内音頭発祥の地の記念碑

但し、常光寺で踊られる河内音頭は正調流し節といって
ずいぶんゆったりしています。まるで日舞のようです。

かけ声も「ヤレコラセードッコイセ」
「ソラヤレドコサ ソラヨイヤサノセ」と独特です。(ちょっと違うかも…)

この正調節、どうやら起源は室町中期にまで遡るそうで
河内音頭(という名称が当時あったかどうかわかりませんが)の古い形態を
残すものとして考えられています。

正調流し節河内音頭

正調流し節河内音頭

又、この寺に祀られている地蔵さんは八尾地蔵と呼ばれ、
市民に愛されてきました。

先日も、この八尾地蔵を主役にしたオペラ美男におはす八尾地蔵」が
市内でユーモアたっぷりと上演されました。

この常光寺のある場所はファミリーロードという商店街の入口です。
ここは以前近鉄八尾駅直結の商店街で大いににぎわっていましたが、
25年ほど昔、駅が現在の位置(東へ600m)へ移動してからは
一気に寂れてしまいました。

もともと八尾のまちは江戸時代に大信寺という寺を中心に
発展した寺内町で、神社仏閣は常光寺の他、八尾天満宮があります。

大信寺は八尾御坊と呼ばれ、門前に露店が連なるおたいや市が月例で開かれています。

八尾天満宮では毎年1月8日に今宮戎より2日早い八日夷が開催されます。
(正確には境内にある八尾戎神社の祭事)

こういった八尾独特の風習も他所ではあまり知られることなく、
商店街を含む旧市街地の衰退と共に埋もれていくのがもったいなく思います。

私は八尾で育ちましたが、
放課後はこの商店街の書店に立ち読みに来ることがほぼ日課となっていて、
買ったばかりの雑誌や漫画本を常光寺の境内で近所の駄菓子屋で買ったジュースとともに貪り読んだものです。

常光寺の盆踊りを見て、しばしファミリーロードを歩き、
すっかり変貌してしまった旧八尾駅前の様相に
一抹の懐かしさと寂しさを覚えました。
 
八尾歳時記

流し節正調河内音頭

桃林堂

與兵衛桃林堂

| おすすめスポット | 15:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
【駅裏なのに自然を感じさせる山小屋風オーガニックカフェ〜コミュニティスペース空】
近鉄奈良線富雄駅から北へ5分、
商店街から右へ入った傾斜地の上に
コミュニティスペース”空(くう)”があります。

空

元は廃屋だったという民家を再生。
建築会社の山創が主体となり、職人や延べ八十人をこえるNPOや学生のボランティアの手によって、コミュニティ空間として生まれ変わりました。

有機野菜のランチを楽しめる他、
様々なイベントを企画する場所として面白い拠点になっています。

私が初めて訪れた日も旧暦の七夕祭りが開催されていて
店内では琴と尺八の演奏が行われていました。

琴の演奏が終わって…

出された食事は、なるほど、オーガニック!

空のディナー

五穀米のごはんや自家製豆腐前の畑で取れたという人参やら味わえました。
これだけで健康になったような錯覚をおこします。

何より素敵だなと思うのは
駅から至近距離にありながら、山奥の風情を楽しめることです。
コテージ風の建物はテラスがあり
店内は山小屋風。和室も奥にあります。

空の店内

周囲はコンクリートで固められた
マンションやモダンな住居に囲まれているのですが
ここだけ別空間。
生の土が目の前にあるというのもいいです。
かつてはこのあたり一面に
このような風景が広がっていたのだろうなと想像させられます。

空のスペースは各コーナーごとに貸し出され使うことができます。

一度YUI企画のイベントに使ってやろうと考えたのはいうまでもありません。



コミュニティスペース空

富雄駅周辺の飲食店

有機カカオ&有機黒砂糖のフェアトレードチョコレート

オーガニックボタニクス
| おすすめスポット | 11:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
「大阪府唯一の伝統的建造物群保存地区」富田林”寺内町”を訪れて
富田林にある寺内町(じないちょう)の起こりは16世紀中頃の戦国時代、京都興正寺の証秀上人が町衆と協力してつくった自治都市で、江戸時代以降は石川の水運を利用した商業地として発展。
最盛期には造り酒屋や木綿問屋など51職種149の店舗は軒を連ね、また興正寺別院や筆頭年寄りの杉山家では能や浄瑠璃が盛んに興行されるなど、経済的にも文化的にも先進地として繁栄した。

1997年には大阪府唯一の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、現在も大商家や町家が昔ながらの姿を残し、中世にタイムスリップしたかのような錯覚に陥りそうな居心地のよさは格別だった。

これだけの日本古来のたたずまいを残した超一級の町並みにも関わらず、われわれ大阪府民からはあまり知られていないのは残念です。



》》》》 日中環境問題を通じた在日華僑の社会貢献〜魂のソフトランディング〜
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